コラム

文学散歩 〜生誕110年 太宰治展 創作の舞台裏

2019/05/4

 

日本近代文学館(東京都駒場公園内)は、GW中と太宰治人気があいまったせいかふだんよりも人出が多かった。
先月6日から開催されている生誕110年の太宰治展、テーマを「創作の舞台裏」として、数多くの生原稿が展示されている。中でも戦時中の検閲の赤傍線が入ったものは目を引いた。太宰の死後、美知子夫人が整理し保存された原稿は経年劣化が著しいが、そこに夫人の執念のような熱い思いを見るようでもあった。太宰は戦中から戦後にかけての時期に意欲的に執筆した。終戦を境に、思想、価値観が大きく逆転したため、作品は相反した検閲を受けたことを原稿は物語っていた。作家が精魂込めた章句を外圧によって削らされ変更されることほど不本意なことはない。その無念さはこうした展示でもないかぎり読者が想像することはできないだろう。推敲の跡に太宰が本当に書きたかったことが見えている。こうした創作の舞台裏をのぞくことは、作品の解釈と作家への理解を深めることにつながる。
さて、人垣の後ろから原稿をのぞき見ることに早々に疲れてきた。陽気のせいか喉が渇いてしかたがないのを我慢していたので、階下の喫茶室へ移動した。ところが考えが甘かったらしい、同じことを思う人はいるものでここに来たら必ずや寄っていきたい場所でもある喫茶室BUNDANの入口は、席を待つ人で列ができていた。名前を記入し、呼ばれるまでメニュを手にとってみてみると、作家にちなんだ料理が並んでいてどれも興味をそそられる。宇野千代のそぼろカレーと寺田寅彦のフランス風サラダ、そして森瑤子のヨロン丼。ヨロン丼とは意外ではないか、あのおしゃれな森瑤子さんが!鰯をご飯にのっけた丼ですか!と…食に表れた作家の素もまたおもしろい、う〜ん、食べてみたい。

待つこと小一時間、ちょうど空いたテラス席に落ち着いて選んだのは鰯ではなく、トマトと揚げナスのフランス風サラダとコーヒーのセット。寺田寅彦はパリでこれを食し、フランス人は石鹸のようなものをパンに塗りつけていると思ったという。さて石鹸と思ったのは何でしょうとメニューに書いてある。たぶんチーズだろうと思っていたら、焼きたてで熱々の厚切りガーリックトーストが添えてある。石鹸と勘違いしたのはニンニクの欠片だったらしい…サラダはバルサミコ酢が揚げナスによく馴染んでいいバランスだし、バゲットのトーストはカリカリで、もちろんガーリックが美味だった。
そしてセットの珈琲は、芥川、寺山、ATSUSHI(中島敦)など作家の名前を冠した単品のそれと同じくらいにインパクトのある予想以上の味(失礼!)に驚いた。サービスの水まで美味しくて渇いた喉にしみわたる。そう言うとウエイトレスさんが笑った。気持ちのいい風が吹きわたる席に長居している人の気持ちがなんだかわかるような気がする。
展示されていた太宰の写真は、ほとんどが見たことのあるものばかりだったけれど、鰻屋で撮られたとキャプションがついた妙に崩れた表情の一枚が目に浮かぶ。あの顔…あれがほんとうなんだろうなあと、庭園の大きな木が風に揺れるのを眺めながら思った。

入場料300円、会期は6月22日(土)まで。

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